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目次
はじめに
旧箱根療養所最後の傷痍軍人
ハンセン氏病傷痍軍人たちの戦後・
結核に冒された傷痍軍人たち
心を病んだ兵士たち
あとがき
旧箱根療養所最後の傷痍軍人
ハンセン氏病傷痍軍人たちの戦後・
結核に冒された傷痍軍人たち
心を病んだ兵士たち
あとがき
内容説明
心と身体に傷を負った兵士たちの戦後
いま再び戦場で犠牲者を生み出そうとする現代日本、国家によって人生を奪われた人びとが〈戦争〉を問う。
いま再び戦場で犠牲者を生み出そうとする現代日本、国家によって人生を奪われた人びとが〈戦争〉を問う。
かつて天皇の名の下に戦争に駆り出された多くの兵士たちが、負傷し、あるいは精神に障害を負って帰還した。いわゆる「傷痍軍人」たちである。
日本がGNP世界第二位の華々しい経済成長をとげつつあった一九七〇年代初頭、その繁栄の裏側で、多くの皇軍兵士たちは巷に放り出されたまま、誰からも顧みられることはなかった。
私が最初に彼らを取材したのは一九七〇年から七一年にかけての二年間だった。その頃、全国で約一三万人の傷痍軍人がいた。症状により一二段階にわけられ、大別すれば増加恩給受給者(重症者)五万七〇七七人、傷病年金受給者(軽症者)七万二三三四人、合計一二万九四一一人にのぼる。このうち特に重症者である特別項症(恩給法別表によって定められた障害の軽重を指す)が八〇七人、第一項症六〇六人、第二項症九三四人である。それが二〇〇五年には、五万一六九二人へと激減した。
「大東亜戦争」は明治以来続いた大日本帝国の歴史の総決算であり、敗戦による価値観の転倒は、かつての忠勇な「皇軍兵士」たちから経済的生活手段を奪ったばかりか、生きてきた意味や誇りすら奪い去ったのである。(「はじめに」より)
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